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近江大橋西詰のすぐ南側に突き出た地にあった膳所城は、徳川家康(1541-1616)が関が原の合戦の翌年に完成させた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せた)の唐橋(からはし)からかねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と里謡(さとうた)にも謡(うた)われています。
戸田(とだ)・本多(ほんだ)・菅沼(すがぬま)・石川と城主が変わった後、本多7万石代々の居城として長く偉容を誇りましたが、明治維新で廃城になり楼閣(ろうかく)は取り壊されました。城門は重要文化財で、膳所神社や篠津(しのず)神社に移築されて残っています。
現在、本丸跡は、膳所公園として整備され、春には桜の名所として花見客を多く集めています。 |
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